トピックス

2023.11.26銘板の定置式

 

1.この銘板は、2019年と2022年の2回、コロナ禍を挟み実施した壁画修復事業のためご寄付頂いた365件の個人、団体のお名前を顕彰す 

   るために設置する。名前は日本語で掲載した。

2.この事業はムラガンダークティ・ビハーラからの制作者、野生司香雪画伯の国、日本人の手で保存修理をとの呼びかけに応えたもの 

  で、最新の日本の文化財保存技術で「剥落止め」、「補彩色」を実施した。

3.この事業総経費は、日本で野生司香雪画伯顕彰会が日本全国に募金を呼びかけ民間資金で賄った。

4.この事業主体「野生司香雪画伯顕彰会」は、今回の事業のために画伯の故郷の香川県で結成した団体である。

5.ステンレス製の銘板には野生司画伯(18851973)の横顔と、サールナートでの壁画制作滞在期間(19321936)を掲載し、画伯を偲べ

  るようにした。


サンデー・タイムズ紙(スリランカ週刊紙)

PLUS20231029 日(日)

「奇跡の壁画と協力」

インドのサールナートにあるアナガリカ・ダルマパーラによって建てられたムラガンダクティ・ヴィハーラ(初転法輪寺)の古い壁画が、日本人画家の後輩たちによってかつての輝きを取り戻しました

 

聖イシパタナ(バラナシ州サールナート)にアナガリカ・ダルマパーラによって建てられた象徴的なムラガンダクティ・ヴィハーラの本堂にあるほぼ100年前の壁画が再び甦りました。 このヴィハーラには、1913 年から 1914 年にかけて植民地時代のインドのテキシーラ近郊でイギリスの考古学者によって発見されインド大菩提会に引き渡された、最も尊敬される仏陀の神聖な遺物(仏舎利)が安置されています。

このお寺の壁画が年月の経過による避けられない劣化により、剥離していたところを、日本人チームにより元の素晴らしさに修復しました。

アナガリカ ダルマパーラは20 世紀初頭に、釈迦が初めて「中道」を説いたサールナートに世界中の仏教徒が崇拝するために寺院を建てました。 そのメッセージは、商人、探検家、巡礼者たちによって、中央アジア全域からペルシャ(現在のイラン)、そして極東の日本にまで届けられました。

ダルマパーラは、新しく建てられた寺院の壁に仏陀の生涯の年代記(釈尊一代記)を描くことを構想しましたが、 彼は何度か日本を訪れており日本人の古代からの芸術的、文化的生活に大きな感銘を受けていました。 そこで彼は今も存続する日印協会(JIA)の創設メンバーの一人でもあったので、自分が建てた寺院に正義を写してくれる画家を探すように(JIAを通して)日本側に協力を求めました。 JIAは大日本帝国政府にも援助を求めました。

(訳補注:日本側の記録によると実際はまずインド大菩大会側からコルカタ総領事館に相談があり、日本の文部省等と諮ったが、民間のことでもあるので日印協会と相談、協力しながら対応。香雪の派遣時には日印協会と同コルカタ商品館が実質の窓口となり、ダルマパーラ死後、遠い異国の土地で孤立、精進する香雪を支えた。

アジャンタの有名な洞窟壁画を研究していた大乗仏教の僧侶の息子である画家、野生司香雪は、この仕事に最適な候補者でした。 インドと日本の芸術の融合に精通していた彼は採用され、インドで 5 年の歳月をかけて壁画を完成させました。

ダルマパーラ自身は、香雪の素描スケッチ「降魔成道」を 1 枚だけ見ることができました。

これを見て満足した彼は、香雪に対し壁画プロジェクトにゴーサインを出しました。

その 4 か月後の 1933 年にサールナートで亡くなりましたので、長さ 44 メートル、高さ 4.4 メートルの壁画の完成品を見ることができませんでした。

(訳補注:、香雪が最初の壁画、降魔成道図を描き始めた時に、ダルマパーラが出家するためにコルカタから初転法輪寺にやってきた。ダルマパーラは制作中の壁画を見て南伝仏教・上座部仏教の立場から意見を言い論議が続き、香雪はそれを調和させながら制作を続けた。降魔成道が完成した時、ダルマパーラは壁画を見て感動、ひして彼が生前に実際に見た唯一の記念すべき画題となった。ダルマパーラはその後間もなく亡くなった。

ダルマパーラの死去に伴い、香雪は自身の絵画の展覧会を開催(自身の絵を販売)することで自らこのプロジェクトに資金提供しました。 最後の方で、JIA と日本政府も協力してくれました。

(訳補注:JIA関係者の高楠順次郎博士等が見かねて国際交流基金と掛け合い助成金を得て送金、また国内からの義援金を現地コルカタ商品館経由で香雪に取り次いだ。

バラナシの人々は、1936年に完成したこの壁画の画家に対する感謝の気持ちを示すために、香雪に感謝状を贈りました。 現在の「野生司香雪画伯顕彰会」メンバーの宮原豊氏によれば、日本に帰国した香雪は東京駅で「大喝采」を受けたそうです。

最近の修復作業は、新型コロナウイルスのパンデミックが発生する直前に開始されました。 インド大菩提会の総長シーワリー・セラ尊者はJIAと連絡を取り、東京のインド大使館と協力して香雪の出身地である香川県での子孫を追跡した。 彼らは木島隆康教授と学芸員の溝渕茂樹教授に相談しました。

本国のインド政府が外貨規制法(FCRA)に基づいて外貨の受け入れを禁止しているため、インド大菩提会が(日本人の)援助と資金を求めているという声が伝わったとき、香川県の仏教徒たちは復興のために無償でお金を寄付しました。

(訳補注:「シーワリー師がJIAと連絡を取りインド大使館と協力」の部分は詳しく説明が必要である。長くなるが実際は当時初転法輪寺の住職だったシーワリ―師が、日本のインド旅行会社トラベルサライの中村社長と懇意になり、傷んだ壁画を修理してくれる日本人を探して欲しいとの話を聞いたことに始まる。同氏はそれを知人の香雪出身地の高松に住む、全国の寺院を対象とした通販会社の生田氏に話した。氏はかつて現地で壁画を見て感動し、それを全国の寺院に伝えたいと考え、昭和60年に香川県で学芸員として香雪回顧展を企画した溝渕氏に依頼してカタログに画伯を紹介する記事を連載中であった。そこで相談すると氏も回顧展開催後にその話を知っており気にかけていたといい、間もなく文化財、美術専門家の立場から人脈をたどりその実現ため組織づくりに取り掛かかった。そしてまず保存修理工事の助言者として香雪の母校、東京芸術大学保存修理専門家の木島隆康教授の了解を取り付け、次に工事担当を快く賛同してくれた彩色設計に依頼した。次に必要経費を集めるための組織づくりが必要と考えて、まず日本で壁画の原図を所蔵する大本山永平寺の乞い個展でご縁を得た南澤副貫首に相談、自ら顧問を引き受けていただき、生田氏を会長として野生司香雪画伯顕彰会を立ち上げた。その後、まずは渡印しての事前現地調査と初転法輪寺側の考えを確認するために、工事担当者と諮って手弁当で都合4回渡印して念入りに確認を重ねた。現地で初めてシーワリー師と面会した際に計画を伝え、またもしかして寺院側で経費を負担してもらえるかと聞くと、日本側の奉仕でお願いしたいとの答えだつた。その後、シーワリー師は寺を管理する団体、インド大菩提会総書記の2年毎に行われる選挙に立候補し当選、インド側の受け入れ態勢を整えてくれた。。さらに師は数度来日し、私たちとの協議、準備進行状況を確認し、また募金のための関係団体等へのあいさつ回りに同行された。そしてある時、JIAが主催するインド大使館との懇親会に当時のJIA事務局長宮原氏の誘いで同溝渕氏が同伴して出席した。その際、新任のインド大使館ヴィヴェーカナンダ文化センター所長シッダルト・シン氏が参加していた。奇遇にも彼はシーワリー師のバラナシ大学の同窓生で、しかも同大仏教学科の教授であった。その後、同氏は顕彰会の活動に強い関心を持ってインド政府の財政支援を画策してくれたが実現しなかった。しかし、インド大使館の大使らの壁画保存修理への理解を深める手助けをしていただいた。。さらに任期を終えて帰国するまで私たちの講演会や展示会開催に協力を惜しまれなかった。

この間の事情が残念ながら本紙の執筆者に正確に伝わっておらず、大菩提会、インド政府側が主導し、日本側が協力したという形の原稿になっている。

 

その後修復プロジェクトは作業が本格的に始まり、2019年末に第1段階が実施されたものの、世界的なパンデミックにより作業が中断されました。 そして昨年(2022年)、プロジェクトは再開され、溝渕教授率いるチームによって無事完了しました。

今日、全世界の仏教界から巡礼者がパンデミック後の聖地サールナートへの訪問を再開し、ダンマチャッカ・スートラの朗誦(世界中の大戦、モンスーン、パンデミックの間もムラガンダクティ・ヴィハーラで毎晩欠かさず行われている)に参加する中、彼らはその奇跡の壁画を鑑賞することができます。 香雪のインドと日本のハイブリッド(二つの文化の組み合わさった)壁画が再びその素晴らしさを取り戻しました。

これは、一世紀にわたって広がった日印協力の物語でもあり、伝説的な日本の芸術家の献身、彼の家族と後輩たちの献身、香川県の謙虚な人々の自発的な慈善活動、そしてインドにスリランカ人によって建てられた寺院に対するインド政府と日本政府の支援の物語でもあります。

 

写真 1: 香雪のインドと日本のハイブリッド(文化の組み合わせの)壁画が再び素晴らしさを取り戻しました。降魔成道の図(マーラと彼の軍隊が菩薩を攻撃)

写真2: スジャンタが菩薩にキール(牛乳のおかゆ)を捧げる図

写真 3: ムラガンダクティ ヴィハーラで進行中の修復作業

 

写真 4: 修復の裏方: 左から宮原豊、溝渕茂樹教授、伝説の芸術家・香雪の本・写真を掲げるJIA の西本達生氏



2023年10月13日 野生司香雪画伯顕彰会の溝渕茂樹さんが四国から上京されました。

 顕彰会の用件は2件、次のとおりです。

 

1,シンハ・ラツナツンガ氏Sinha Ratnatunga)ご夫妻が公益財団法人日印協会を訪問されました。同氏は、The Sunday Times(スリランカの週刊紙)のEditor、ダルマパーラ基金並びにインド大菩提会(スリランカ)の管財人(Trustee)という方で、ダルマパーラ尊者の縁者のようです。

日印協会とダルマパーラとの歴史的な関係について情報収集するとともに、日本インド大菩提会の設立のことについて意見交換しました。インド大菩提会が日本に組織を立ち上げること自体はそれほど難しい話でもないように思うのですが、その後の運営のこと等を考えると誰か核になる組織とか人物が必要かもしれません。本件について、日印協会のスタンスについて確認できました。写真は、右から西本日印協会副理事長・常務理事、溝渕さん、Ratnatunga夫妻、宮原です。

2,午後、上野公園の公益財団法人文化財保護・芸術研究助成財団を訪問し、野生司香雪画伯顕彰会のインド・サールナートの初転法輪寺(ムラガンダ・クティ・ビハラ)の釈尊一代記壁画保全プロジェクトへの協力・支援に対して御礼を申し上げました。故・平山郁夫画伯の壁画に対する高い評価の声がなかったならば本件はスタートしなかった等々の溝渕さんの話は感動的でした。それが基本にあって、平山画伯所縁の財団の皆様に多大なる支援をいただいたことがプロジェクトを完遂することにつながりました。写真は、同財団の小宮専務理事、小林事務局長、倉持さん、溝渕さん、宮原です。



 

5月12日~21日に長野市で「野生司香雪展」が開催!

 

長野市で「野生司香雪展」が開催されます。主催は長野市仏教会(←リンク)です。

 

2023年5月12日~21日、長野市北野カルチュラルセンターで「野生司香雪展」が開催予定です。


Times of India 紙(2023年2月5日)「日本から愛をこめて:色褪せた壁画が再び生き返る」リンク

 

日本のアーティストによって制作されてから何十年か経て、仏像の壁画に新たな命が吹き込まれた、と Isha Jain は報告している

 

1917 年の初夏、日本の伝説的な芸術家が、蓮の花の聖地であるインドに向かい、仏教美術を学び、アジャンタ石窟寺院で働きました。 ここで、彼は著名な日本人画家の荒井寛方やインドと深いつながりを持つ他の数人の日本人画家とともに、彼の故郷である日本にもよく知られた壁画を再現するためにアジャンタ洞窟を訪れました。 インド訪問の目的の一環として、彼はインドのさまざまな地域を旅し、日本美術に与えた特徴的な印象を得ました。.

193211 月、芸術的使命を帯びた仏教徒として、野生司香雪はムクル・デイを訪れました。ムクル・デイはその後、カルカッタの政府芸術学校の校長を務めた人物です。 同じ年、この伝説的な日本の芸術家は、1931 年にアナガリカ ダルマパーラによって設立されたサルナートの初転法輪寺(ムラガンダ クティ ヴィハーラ寺院)で仏陀の生涯を描いた壁画を制作するために選ばれました。

「寺院が建てられたとき、ダルマパーラは日印協会にブッダの生涯を描くアーティストを送るよう依頼しました。 野生司は若い頃にアジャンタの洞窟壁画の複製を作成した経験があったため、この大規模なプロジェクトを与えられました」と、インド大菩提会の筆頭僧兼事務総長シーワリ―師は語っています。

47歳の野生司はインドをこよなく愛し、その申し出を受け入れました。 アシスタントと共に、彼はブッダの生涯のさまざまな場面を描いた長さ 44 メートル、高さ 4 メートルの壁画を完成させるために 4 年間熱心に取り組みました。 約50年後、壁画は色褪せ、絵は剥がれ始めました。

初転法輪寺の住職は、貴重な現代美術の遺産を保存する手助けをするよう日本の人々に訴えました。 保存作業は 1977 年に構想されていました。しかし、資金不足のため、その計画は進まず時間だけが過ぎて行きました。

壁画の破損がさら進んだ20年ほど前に、サルナートからの訴えは日本の学芸員(キュレーター)であった溝渕茂樹に届き、物事が動き始めたのはその時からでした。 「野生司香雪画伯顕彰会」が発足して間もなく、溝渕と技術監修者の東京藝術大学の木島孝康教授を中心に、201911月から保存作業の第1段階が始まりました。

「野生司によるこれらの壮大な壁画は、日本とインドが共有する歴史的および精神的に重要な有形文化遺産であります。 同時に、壁画とそれが表すメッセージは仏陀の信奉者のものです」と、顕彰協会の幹事である溝渕茂樹は言います。

「野生司香雪は、インドの気候に耐えられるように、その時代特有の高度に特殊化された鉱物絵具を使用することを選択したので、私たちは同じ絵具を一から複製し、壁画の絵具が著しく退色した部分を修正しました」と彼は言います。

また、塗装が部分的または完全に剥がれた部分については、修復チームが古い壁画の写真を参考にしながら、欠けている部分を捕彩色する作業を行いました。 保全工事は 202212 月に終了しました。この年は、インド独立 75 周年と日印外交関係樹立 70 周年を記念する年です。

「壁画制作における野生司の狙いは二つありました。 一つは、そうすることによって、彼はブッダに謙虚な献身を捧げようとしました。 第二に、壁画はインドで仏教芸術の復活を目の当たりにし、インドと日本の両国を近づけるため務めたことでした」と、 東京のインド大使館ヴィヴェカーナンダ文化センター前館長のシッダールト・シン教授(バナーラス・ヒンドゥー大学仏教学科教授)は言っています。シン教授は野生司の貢献を記録するために、202212 月に開催された閉会式で、ICCR(インド文化交流評議会) のヴィナイ・サハスラブッデ会長の出席の下で。モノグラフ(冊子)を出版を発表しました。

 

 「今回は日本の専門家が保存作業として仮保存と補彩色の作業を行いました」とシーワリ―ン師は言っています。野生司香雪の孫である野生司義光は、「完成から80年以上経った今でも、壁画が日本とインドの深い精神的結びつきの象徴であり続けていることは大きな喜びです」と語っています。

日本から愛をこめて:色褪せた壁画が再び生き返る

 

日本のアーティストによって制作されてから何十年か経て、仏像の壁画に新たな命が吹き込まれた、と Isha Jain は報告している

 

1917 年の初夏、日本の伝説的な芸術家が、蓮の花の聖地であるインドに向かい、仏教美術を学び、アジャンタ石窟寺院で働きました。 ここで、彼は著名な日本人画家の荒井寛方やインドと深いつながりを持つ他の数人の日本人画家とともに、彼の故郷である日本にもよく知られた壁画を再現するためにアジャンタ洞窟を訪れました。 インド訪問の目的の一環として、彼はインドのさまざまな地域を旅し、日本美術に与えた特徴的な印象を得ました。.

193211 月、芸術的使命を帯びた仏教徒として、野生司香雪はムクル・デイを訪れました。ムクル・デイはその後、カルカッタの政府芸術学校の校長を務めた人物です。 同じ年、この伝説的な日本の芸術家は、1931 年にアナガリカ ダルマパーラによって設立されたサルナートの初転法輪寺(ムラガンダ クティ ヴィハーラ寺院)で仏陀の生涯を描いた壁画を制作するために選ばれました。

「寺院が建てられたとき、ダルマパーラは日印協会にブッダの生涯を描くアーティストを送るよう依頼しました。 野生司は若い頃にアジャンタの洞窟壁画の複製を作成した経験があったため、この大規模なプロジェクトを与えられました」と、インド大菩提会の筆頭僧兼事務総長シーワリ―師は語っています。

47歳の野生司はインドをこよなく愛し、その申し出を受け入れました。 アシスタントと共に、彼はブッダの生涯のさまざまな場面を描いた長さ 44 メートル、高さ 4 メートルの壁画を完成させるために 4 年間熱心に取り組みました。 約50年後、壁画は色褪せ、絵は剥がれ始めました。

初転法輪寺の住職は、貴重な現代美術の遺産を保存する手助けをするよう日本の人々に訴えました。 保存作業は 1977 年に構想されていました。しかし、資金不足のため、その計画は進まず時間だけが過ぎて行きました。

壁画の破損がさら進んだ20年ほど前に、サルナートからの訴えは日本の学芸員(キュレーター)であった溝渕茂樹に届き、物事が動き始めたのはその時からでした。 「野生司香雪画伯顕彰会」が発足して間もなく、溝渕と技術監修者の東京藝術大学の木島孝康教授を中心に、201911月から保存作業の第1段階が始まりました。

「野生司によるこれらの壮大な壁画は、日本とインドが共有する歴史的および精神的に重要な有形文化遺産であります。 同時に、壁画とそれが表すメッセージは仏陀の信奉者のものです」と、顕彰協会の幹事である溝渕茂樹は言います。

「野生司香雪は、インドの気候に耐えられるように、その時代特有の高度に特殊化された鉱物絵具を使用することを選択したので、私たちは同じ絵具を一から複製し、壁画の絵具が著しく退色した部分を修正しました」と彼は言います。

また、塗装が部分的または完全に剥がれた部分については、修復チームが古い壁画の写真を参考にしながら、欠けている部分を捕彩色する作業を行いました。 保全工事は 202212 月に終了しました。この年は、インド独立 75 周年と日印外交関係樹立 70 周年を記念する年です。

「壁画制作における野生司の狙いは二つありました。 一つは、そうすることによって、彼はブッダに謙虚な献身を捧げようとしました。 第二に、壁画はインドで仏教芸術の復活を目の当たりにし、インドと日本の両国を近づけるため務めたことでした」と、 東京のインド大使館ヴィヴェカーナンダ文化センター前館長のシッダールト・シン教授(バナーラス・ヒンドゥー大学仏教学科教授)は言っています。シン教授は野生司の貢献を記録するために、202212 月に開催された閉会式で、ICCR(インド文化交流評議会) のヴィナイ・サハスラブッデ会長の出席の下で。モノグラフ(冊子)を出版を発表しました。

 

 「今回は日本の専門家が保存作業として仮保存と補彩色の作業を行いました」とシーワリ―ン師は言っています。野生司香雪の孫である野生司義光は、「完成から80年以上経った今でも、壁画が日本とインドの深い精神的結びつきの象徴であり続けていることは大きな喜びです」と語っています。


2022年12月 15日 日本から使節団が到着、そして16日 落慶式(竣工式)の模

 12月15日、シーワリ―師が完成した壁画の保全工事を視察、その日午後に到着する日本からの使節団を迎える準備をする溝渕さんもシーワリ―師も満足そうな様子。そして、午後、使節団が寺院に到着。保全工事を請け負った彩色設計の小野村社長が使節団に説明。歓迎の記念写真。

 そして翌日16日は落慶式(竣工式)です。シーワリ―師から感謝の祝辞を受ける溝渕さんが最も安堵に胸を撫でおろした瞬間です。二人の笑顔は、ここ十年間の両者の培った信頼関係から生まれたものでしょう。溝渕さんにとっては、香雪と出会って37年、25~6年前から徐々に聞こえ始めた保全工事に対するインド大菩提会の要望に応えて、顕彰会を立ち上げて10数年、今こうして大願が成就されました。インド政府からもICCR(インド文化評議会)会長ビナイ・サハスラブッデ博士も参加され祝辞を述べられました。インド大使館VCC前館長シッダルト・シン教授(バラナス・ヒンドゥ大学)は、この壁画保全工事完成を祝し、この日のために本を出版されました(Remembering ”The Legend”)。東京藝術大学木島隆康名誉教授のお話に胸を打たれました。

 


20221215 本堂の南面、西面の保全工事が終了しました。

 2019年11月~12月、初転法輪寺の本堂東面の保全工事を終えたものの、コロナ禍で2年中断した南面と西面の保全工事が終了しました。工事の内容は、クリーニング、剥落止め、そして補彩色です。あくまでも壁画の原画をそのままに、剥落止めを施した後、ひび割れ、水漏れによる破損個所を限定的に補彩色したものです。私のような素人目に分かる事例として、東面の右上から中央部分の保全措置について写真で比較してみます。

 東面の左上が雨漏れにより破損が激しく、施主のインド大菩提会から出来るだけ元の姿に戻してほしいと言う要望が寄せられていました。描き直すのではななく、あくまでも補助的な点描(軽いタッチで色を置くように)彩色ました。この表現が正しいか分かりませんが、補彩色の前と後を比較してください。壁画が元の原画のように守られ、施主も出来栄えに満足されていました。

 


20221215 フレスコだけれどフレスコではない?

日本語では「壁画」と記しているが、英語では「フレスコ」と書かれています。 西欧では壁画はほぼフレスコ画の技法で描かれているが、インド・サールナートの初転法輪寺(Mulagndha Kuti Vihara)の釈尊一代記の壁画は、いわゆる西欧のフレスコ画(漆喰の乾かないうちに絵を描く方法)ではなく、日本画の手法で描かれています。それは作者の野生司香雪画伯がインドの気候の中で、色の変化に耐えられるように主に鉱物性絵具を使った壁画を描くように工夫した結果でありました。

今回の壁画保全修理に当たっては、技術的にはまさにここに最大の特徴があると、キュレーターの溝渕さんは考えたそうです。日本の専門家の指導と日本画の修復をしている専門業者の経験が、施主であるインド大菩提会(シーワリー師)の元の絵をそのままに保全修理して欲しいと言う希望を叶えることになるし、それが貴重な文化財保護になると考え、溝渕さんとシーワリー師は長い間話し合って信頼関係を醸成してきたのでした。だから日本から技術者を派遣して保全措置を施さなければならなかったのです。

そして、長年の検討の結果、それがついに実現したのです。足掛け5年をかけた野生司香雪の大願成就を、保全修理においても30年近くの研究と努力で大願成就したのでした。今後も、保全修理は必要だし、一定期間が来れば修復、修繕を要すると思われますが、この技術的な観点は非常に重要です。

壁画だからフレスコ画と思われるが、実はフレスコ技法ではなく日本画の技法で描かれた壁画なので、今後も日本画による修復が必要なのだそうです。日印両国にとって貴重な文化遺産の保護のためには、資金的なことだけでなく技術面でも日印双方の協力が必要です


第二期・第三期の保全作業
11月27日~12月18日まで、インド・サールナートの初転法輪寺(Mulagandha Kuti Vihara)の釈尊一代記の日本画壁画保全修復チームがインド訪問します。今回の作業チームは7名です。2019年の第一期工事が終了後、2020年2021年と2年間、コロナ禍のために中断されましたが、3年ぶりに第二期・第三期の工事が再開されます。
12月16日には施主インド大菩提会の主催により竣工式が開催予定です。それまでにしっかり保全活動を完遂したいです。この日に合わせて日本側から関係者がサールナートを訪問予定です。

インド大菩提会事務総長(General Manager)のシーワリ―師が訪日、2022年9月
 2022年9月2日、訪日中のインド大菩提会シーワリ―師、野生司香雪画伯顕彰会の溝渕茂樹先生と宮原は、午前中に仏教伝道協会の青木晴美常務理事を、また午後は野生司義光様(野生司香雪直系の孫)も合流して日印協会の斎木理事長を表敬訪問しました。
 野生司香雪画伯顕彰会の溝渕先生により、サールナート初転法輪寺の壁画保全プロジェクトや日印美術交流の歴史の一こまについて説明、従前からのご支援ご協力に感謝申し上げました。引き続き両協会からご支援・ご協力を賜りながら事業推進できることを心強く感じました。
 壁画保全は、第一期保全工事を2019年12月に終了したものの、第二期、第三期はコロナ禍の為に中断しておりますが、本年2022年11月26日から12月16日まで第二期、第三期を同時に完了させる予定で準備しております。インド大菩提会も12月16日(か15日)にサールナートに於いて工事完了の竣工式を予定しています。
 9月4日には、シーワリ―師は、札幌中央寺に滞在中の永平寺の南澤道人貫首を訪ねました。同行されたのは溝渕先生とトラベルサライの中村義博社長で、中央寺住職の熊谷忠興師にもお会いしたそうです。
 さて、表敬訪問の際の写真です。最後に添付した白黒写真ですが、シーワリ―師が大菩提会図書館所蔵の本の中で見つけた写真だそうです。この写真には日印協会(Indo-Japan Association)関係者と撮影と記されていますが、ダルマパーラ居士が訪日した1902年に日印協会設立準備していた頃の写真です。ダルマパーラ居士以外の方が誰なのかは今のところ判別できません。ここには少なくとも大隈重信、渋沢栄一の顔は見えず、仏教界の方々が多いように見受けられます。高楠順次郎博士(日印協会の理事、ダルマパーラとは生涯の友人)が入っているのか、あるいは他の日印協会会員(平井金三、桜井義肇等の創立時の会員はダルマパーラの友人)がいるのではないかと考えられますが、今後調べてみたいと思います。