サールナート初転法輪寺(Mulagandha Kuty Vihara in Sarnath)

以下、和文は後に添付したサールナートならびに初転法輪寺に関するパンプレットを宮原が仮に翻訳したものです。ご参考まで。また、こちらもリンクします。インド大菩提会(Maha Bodhi Society in India)

 

観光会社のパンフレットは各種ありますが、野生司香雪画伯顕彰会のメンバーであるトラベル・サライのWebsiteのサールナートに繋ぎます。

初転法輪寺パンフ

According to ……….

記録によれば中国の法顕と玄奘三蔵はそれぞれ5世紀と7世紀にサールナートを訪問し、この聖地に関する貴重な情報とともに仏教の世界を伝えた。

その昔、アショーカ大王は釈迦牟尼仏陀がサールナートに滞在していた時代の様々な出来事を記録するために一連の記念碑を建設した。4頭のインド・ライオンを配置したアショーカ大王の獅子柱頭や優雅に座し初説法をする仏陀の像はサールナート遺跡調査で発見された最も注目すべき記念碑である。

次に掲げるのはサールナートの最も重要で魅力的な歴史的遺物である。

ダーメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa:仏陀が初めて説教をした場所にアショーカ大王が建立したストゥーパ(卒塔婆)。

チャウカンディ(Chaukandhi:悟りを開いた後に仏陀が5人の修行者に迎えられた場所に建てられた迎仏塔。

サールナート仏教遺跡:サールナートが古代インドの仏教の一大中心地であったことを示す広大な僧院の基礎、柱、壁等の遺跡。

アショーカ大王の柱頭:サールナートの遺跡で発見された最も注目される紀元前3世紀にアショーカ大王法勅がブラーフミー文字で刻まれた石柱。

初転法輪寺(Mulagandha Kuty Vihara:悟りを開いたブッダが最初の雨期を過ごした住居跡。

ダームサバマンダパ(Dhamsabhamandapa: 仏(悟った人・陀陀)、法(仏陀の教え)、僧(仏陀の教えに救われ、実践する仲間)の三宝が揃い仏教教団が成立した場所。

鹿野苑(Deer Park:鹿の群れが自由に散歩した場所。

サールナート考古博物館(Archaeological Museum:この遺跡と周辺の古代の貴重な発掘品が収蔵されている。有名な魅惑的な最高傑作である瞑想する「初転法輪仏像(サールナート仏像)」も含まれる。

マヒパラ王治世の時、クマラデヴィ女王がサールナートに王朝を再建したが、その後外敵の攻撃により滅ぼされて、この地の意義が忘れられていた。

アナガリカ・ダルマパーラ:シンハリの偉大な仏教徒であり愛国者のダラマパーラは、スリランカ(当時はセイロン)の仏教徒の貴族の家に生まれた。キリスト教の學校で学び、父により公務員の道を運命づけられていたが、18歳の時に仏教復興と人類への奉仕のために人生を捧げることを決心する。ダラマパーラは仏教生誕のインドで仏教信仰を蘇らせ、「ブッダとダンマ」(仏陀と教義)を世界中に広げた。インドを訪ねたダルマパーラは、ブッダガヤのマーハボディ寺院(大菩提寺)が打ち捨てられ忘れられた存在であることを知った。ブッダガヤはシッダルタ王子(仏陀)が悟りを開いた(解脱した)まさにその場所であり、ダルマパーラはその地でインドでの仏教復活のためにゆるぎない決意をしたのであった。

Thereafter・・・・・

その後に彼はサールナートを訪れた。サールナートはブッダが最初に説教をした地であるから正に仏教発祥の聖地であるにもかかわらず、そこでも仏教が完全に無視されていることにダルマパーラは衝撃をうけた。その時に、彼はその後の人生をサールナートに留まり、この地を仏教の中心地として蘇らせることを決心した。

ダルマパーラは、仏教復興とサールナート再建のために、インド大菩提会(マハ・ボディ・ソサイエティ)を設立し、当時インドを統治していた英国当局を説得し聖地サールナート保護のために様々な措置を講じた。最初の仕事は、ムラガンダ・クティ・ヴィハラ(初転法輪寺)を建立することで、ブッダの聖なる遺物を祀り、学舎、図書館、僧院、巡礼者のための休憩所を作った。彼はこれら全てに傾注した。

1893年の世界宗教会議に参加して、釈迦牟尼の高貴な教えを西洋に伝えた。彼は広範囲に旅行し、英国統治下においてスリランカ(当時のセイロン)の国民的感情を喚起する運動を始めた。

アナガリカ・ダルマパーラは、仏教の復興と布教に気高く無限の奉仕を惜しまず、彼はサールナートに仏教界にとって比類のない財産を残した。このように、ダルマパーラは、仏教復興に貢献した高貴な人物として歴史に名をとどめた。

インド大菩提会(マハ・ボディ・ソサイエティ)1891年に菩薩・アナガリカ・ダルマパーラが創立した国際的な仏教徒団体である。その最初の目的は、ゴウタマ・シッダルタがブッダとなった解脱の地ブッダガヤを、仏教が廃れて800年の時を経て、仏教復興の第一線とするための運動をすることであった。仏教はブッダへの無限の思いやりから始まり世界中に広がったが、残念ながら故郷を失っていた。

最初から大菩提会は仏教界全体の代表として活動し、世界仏教界の意見を表明するプラットホームを提供している。大菩提会は、一世紀(100年)以上前から、世界の仏教界を団結させて仏教を広めるだけでなく、仏教の正当な権利を回復する場である。大菩提会は特定の宗派と共にすることはなく、仏教界を代表して全ての仏教宗派のために尽くすこととしている。

創立者アナガリータ・ダルマパーラが示したブッダの教えに導かれて、インド大菩提会は宗教活動と一緒に慈善と社会福祉に広く携わるものである。

“ザ・マハ・ボディ”は1892年発刊の世界最古の仏教ジャーナル(雑誌)であり、大菩提会はこのジャーナルを通して世界の仏教徒とコミュニケートしてきた。

大菩提会はコルカタに本部を置き、インド内外の各地にセンター・提携先を有する。インドでは、ブッダガヤ、サールナート、ルンビニ、ニューデリー、ラクノウ、ブバネシュワールとノウガール、外国では提携先(センター)として、英国、日本、韓国、米国、香港等にある。それらセンターは、釈迦牟尼の教えを普及するのみならず、社会福祉活動を行い、各地を行き来する巡礼者のために宿舎や必要な奉仕活動をしている。

Buddha:The Buddha,・・・・

仏陀(ブッダ):仏陀とは、人の中でも最高で最も優れた人で、最も顕著に最高の美徳、特質、および印を授けられた人。シャカ族の王家にシッダルタ王子としてカピラヴァスツ(今はネパール領)のルンピニで生を受けた。彼は生あるものすべてが共通に直面する悲惨と苦難を目撃した後、29歳の若さで王族を手放した。それからシッダルタ王子は真実を求めて隠者として放浪者の道を歩み、この世のすべての存在が被るすべての苦痛の解決策を見いだすことによって、釈迦牟尼となった。厳格な禁欲とありとあらゆる困難との戦いを経て、ゴータマは中道を悟り、ウルウェラ(ボダガヤ)で洞察、認識、知恵、知識、透視の最高ステージを達成して、仏陀(悟りを開いた人)となった。

Dhamma(ダンマ):シッダルタ王子の真理を追究し真実の中に己を見出そうとする貴い試みは、万物が受ける苦しみと悲惨さに根差していた。清浄と知覚の至高の段階に達した後、仏陀は崇拝と自己実現につながる「崇高な生き方」を悟った(成道)。サールナートのイシパタナ・ミガダーヤで、最初の五人の弟子(五比丘)に「中道や四諦八正道(妙法蓮華経=鳩摩羅什訳)」として知られる最初の説教(初転法輪)を行った。このようにして、仏陀はダンマ(真理=法)を世界に向けて話し始めたが、それはアショーカ大王の首都のシンボルであるライオンの開いた口によって象徴される。35歳で悟りを開いた 仏陀は、最初の説教で「四諦八正道」を説き、それから45年間、81歳の涅槃の時までの説いた仏陀の教えは仏典「三蔵」に収められている。即ち、経蔵、律蔵、論蔵である。

Sangha(サンガ):ブッダが人類奉仕において「ダンマ=真理」を伝え、守り、普及するために組織された僧侶の組織または秩序のことである。 Sanghaは仏陀の最初の五人の弟子と仏陀に叙階された仏僧によりサールナートに創立された。サンガは後に60人の仏僧に成長し、仏陀から四方に布教するように言われた。アショーカ大王の首都のシンボルであり独立インドの国章になっている4頭のライオンが4方向に向いているのは、ダンマ(真理)を四方に布教した象徴である。仏教サンガは世界最古の、最も適切に構成された施設であり、 仏陀涅槃の後もサンガは、ダンマを守り普及する高貴な責任を担った。

Sarnath・・・・

サールナート(Sarnath: サールナートは緑に囲まれた地域で、豊かな森があり、自給自足が可能で、静かな環境は賢者や隠者のために瞑想するのに適していた。 釈迦牟尼仏の時代、それはイシパタナ・ミガダーヤ(鹿野苑)として知られていた。 ジャータカ・スッタによれば、仏陀はサールナートでその前世を菩薩として生まれた。

仏陀は生前に、巡礼者が訪れる4つの聖地として、ルンビニ、ブッダガヤ、サールナート、クシナガルを挙げていた。仏教の歴史の中で最初にサールナートを訪問者したのは、仏陀の最初の五人の弟子(五比丘)のコンダンナ、バディーヤ、ワッパ、マハナマ、アサージである。

サールナートの重要性:釈迦牟尼仏はウルベラ(現代のブッダガヤ)で啓蒙の最高状態に到達(解脱)した後、世界にダンマ=真理を授けるという高貴な意図について考えた。彼は、彼の元の五人の弟子たちが、ダーマを受け取るのに最も適切な弟子であると考えた。 仏陀は、弟子たちが住んでいたベナレス近くのイシパタナ・ミガダーヤ(鹿野苑)にいることを知り、ベナレスに向かった。仏陀は、自信をもって真理を追究し悟りを開いた。五人の弟子は、世界の頂点を極めた人からダンマ=真理を聞いて、計り知れない恩恵を受けた。そのように、仏陀はサールナートのイシパタナ・ミガダーヤ(鹿野苑)に「正義の王国」を築いた。そしてサールナートは 「ダンマの車輪の回転(初転法輪)の地」として知られることとなった。

サールナートがブッダに縁の深い注目の場所であると世界中に知られている理由は次のとおり:
*仏陀が初めて説教をした。

*仏教の生誕地。

*僧侶の組織・規律(Sangha-Order)の設立

*コンダンナは、五人の弟子の中で最初に真理を極め、「成道」(Sowan)を達成

*最初の五人の弟子と最初の仏教徒の信者(Yasa)の叙階

* 5人の比丘(弟子)は、仏陀の2回目の説教(Anattala Lakhkhana Sutta)を聞いた後、アラハントを達成

* 仏僧の叙階。三宝に帰依すること(仏陀により創立された仏、法、僧)。

* ダンマの講話の後に、聖なる言葉「(サドゥ)Sadhu ... Sadhu ・・・ Sadhu」を発する起源

*釈迦牟尼仏は、最初の雨期をサールナートで過ごした

* 60人の僧侶が仏陀によって四方にダンマを広げた(布教した)

 

➄ムラガンダ・クティ・ヴィハラ(初転法輪寺):

サールナートにあるMulagandha Kuty Viharaは、サールナー

トの過去の栄光を思い起こさせる。それはアナガリカ・ダルマパーラの生涯にわたる献身の最高の栄光でもある。

初転法輪寺の建設はダルマパーラによって1926年に始められが、それは敬虔な彼の人生の晩年のことであった。

サールナートに寺院を建設することを決意し建築計画を立てた時、寛大なハワイアン・レディーであるメアリ

ー・フォースター(Mary Foster)が最初の資金援助をしてくれた。ダルマパーラは自ら建設工事を監督し、1931

年に高さ200フィートの壮大な寺院が一般公開された。

その後、評判の高い日本の画家・野生司香雪氏と助手が寺院の壁をフレスコ画で飾る「釈尊一代記」の壁画を完成させた。

寺院の開幕日に、英国統治下のインド政府から仏陀の霊がアナガリカ・ダラマパーラに贈られ寺院に安置された。

仏教徒にとって神聖で魅力的な寺院は、過去数十年間にインドや外国の要人、 巡礼者や観光客など何百万人もの

人々が訪れた。

年間行事の中で最も魅力的なものは11月に行われる神聖な遺物の御開帳で、母国インド人だけではなくさまざま

な国の人々が珍しくも神聖な行事に訪れる。

サールナート・センター(Sarnath Centre: サールナート・センターは大菩提会の最も活発なセンターの一つで

ある。設立以来、ここは教育、社会福祉、宗教活動に従事している。 サーナートだけでなく、インド全土と海外に

もサービスを提供している。 アナガリカ・ダルマパーラはコルカタから布教活動を始めたが、その後には最晩年ま

で彼は注意と努力をサールナートに傾けた。

その後、アナガリーカの後継者デバプリヤ・バリジンゲと僧侶たちは、このサールナート・センターを活動の中心

地として、その開発と保全のために貢献し、アナガリーカが熱心に打ち立てたビジョンと使命を進めるために彼の

の死後もその空虚を埋めるべく最善を尽くしている。

 

現在の活動:インドのマハ・ボディ・ソサエティのサールナートセンターは、以下の活動に積極的に取り組んでいます。

 

Maha Bodhi Mulagandha Kuty Vihara・・・・・

初転法輪寺(Mulagandha Kuty Vihara:訪問者と巡礼者に午前4時から午後8時まで開館。但し、午前 1130から午後130分までは閉館(昼食時)。

毎日午後630分に初転法輪の儀式(ダンマの車輪を回す-仏陀の最初の説教を唱える)

大菩提会初転法輪寺図書館:ダンマの本質を求める人々への無料サービス。仏法、仏教やその他の分野に関する膨大な書物が学生、知識人、一般的な訪問者に閲覧可能。

マハ・ボディ・ビルラ・ダルマシェーラ:大菩提会により巡礼者のために宿泊施設を提供。

マハ・ボディ・インター・カレッジ( Inter-College:この組織(インスティテュート)は、政府援助を受けて地域の近代教育のニーズに応え、約2000人の学生を収容し、効率的に運営されている。

(写真)Maha Bodhi Junior Girls High School

サーナート地域の女子教育に焦点を当て、特別によく訓練された教師と約400人の生徒を受け入れる規模(能力)。

(写真)Maha Bodhi Primary School

貧困層の子供たちの基礎教育の必要性に応える、地域で評判の高い教育機関。

ダルマパーラ保育園:創設者にちなんで名付けられた保育園で、約300人の小さな子供たちの基礎教育を行う。

アナガリカ・ダルマパーラ博物館と大菩提会百周年記念寺院:アナガリカ・ダルマパーラの豊富なコレクションがある。ダマパーラの手紙、メモ、日記、個人的な小品、写真、絵画等。

 

Maha Bodhi Charitable Hospital・・・・・・

Maha Bodhi Charitable Hospital(大菩提会慈善病院):大菩提慈善病院の様子

地域の人々や巡礼者の健康問題と医療ニーズを見て、ホメオパシー、アーユルヴェーダを提供。

チベットの方法論(治療と薬)。

仏教徒の5つの教訓:

1Panatipata veramani sikkhapadam samadiyami

私は、生命やあらゆる種類の有害で暴力的な行為、行動を棄てるための規則を守り訓練をする

2Adinnadana veramani sikkhapadam samadiymi

  私は、与えられていないものをとらないように訓練規則を実行する。

3Kamesumicchacara veramani sikkhapadam samadiyami

私は、心身に正しくないあらゆる種類の行為を回避するための訓練規則を実行する。

4Musavada veramani sikkhapadam samadiyami

私は虚偽の発言を避けるために訓練規則を実行する。

5Suramerayamajiapamadatthana

私は病気の原因となる発酵飲み物を不注意で飲まないように訓練規則を実行する。

 

毎年恒例のイベントとセレモニー

ブッダ・プミマ、アシャディ・プミマ、インド独立記念日、アナガリカ・ダルマパーラ・デー、初転法輪寺の年次行事、カーティック・プルニマ、インド共和国記念日のお祝い

今日のサールナート

インド大菩提会とともに、サールナートには教育と宗教活動、多数の仏教寺院と修道院がある。

日本、中国、タイ、韓国、ミャンマーなどの国々によって建設、維持されている施設もある。チベット仏教の僧院や研究所も周辺に多数見られる。主なものは、国際的に知られているチベット中央大学。

バラナシ(ベナレスとして知られている)というサールナートに最も近い都市には、評判の高い3つの大学、ベナレス・ヒンドゥー大学、シュリ・サンパーナンダ・サンスクリット大学、マハトマ・ガンジー・カシ・ビディヤ・ピースが、仏教、パリー語、サンスクリット語などの科目を教えている。

訪問するのに最適な季節

冬(9月から3月)には、サールナートやこの地域の仏教の名所を訪れることをお勧めする。

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私たちはみなさんを大菩提会(マハ・ボディ・ソサイエティ・インド)のサールナート・センターに歓迎します。

皆様が、社会福祉、慈善、および平和、調和、思いやりに対する社会意識の創造・向上という大菩提会の使命を実現するために貢献されることを期待します。

                              次項は、初転法輪寺・英文パンフレットのコピーです。